全米で先行上映された映画「スティーブ・ジョブズ(2013)」レポート(レビュー付き)
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全米で8月16日から公開される映画「スティーブ・ジョブズ」が、前日の8月15日21時(日本時間8月16日10時)に全米先行上映が行われたので、ニューヨークのAMC Empire 25で見てきました。
ポスターなどには8月16日公開と記されていたので、先行上映されることは、あまり知られていないようで、上映ギリギリにお客が増えた感じです。
先行上映館と通常上映館数に違いがあり、先行上映館の方が多いようです。
なお、日本では11月01日から公開されます。
スティーブ・ジョブズ氏が、Appleを創業する頃からAppleに復帰するまでの半生を描いた作品。
監督はジョシュア・マイケル・スターン、脚本はマット・ホワイトレイで、制作スタッフは無名に近く、事実上のインディーズ作品である。
冒頭シーンで登場する初代iPod発表会には、日本から林信行氏が参加し「アップルが新しい音楽の楽しみ方を提案する『iPod』を発表──発表会詳報」を書いている。また、現地参加者として、Vintage Computerの武藤氏が参加し「Apple製ハードディスクMP3プレーヤ「iPod」発表会:フォトレポート」を書いている。
脚本は非常に細かい過去のエピソードを繋ぎ合わせて書かれており、ウォルター・アイザックソン著のSteve Jobs氏の伝記「スティーブ・ジョブズ」を元にした作品では無い。また、史実に基づいた完全再現ドキュメンタリーでは無く、様々な部分で演出されており、エンターテイメントとして観るべき作品だと思う。
クリス・ガードナーの半生を描いた映画「幸せのちから」のように、映画を見た観客が、そのストーリーから何かを得られる強いメッセージがあるか?という点が評価の分かれ目だと思うけど、誰が見ても分かるというわけでもないから評価はたぶん半々になると思う。(IMDbの評価は現時点で5.6)
スティーブ・ジョブズを演じるアシュトン・カッチャーは、見た目だけでなく、話し方とか細かい動きなど、とことん似せた演技をしていて、役者魂を感じる。
日本人には分り辛いかもしれないが、株主の代表である「取締役会」 (Board of Directors) と、日常業務を取り仕切る「役員」 (officer) との戦いが映画の柱に据えられている。なぜ、ジョブズ氏は会社を追われなければならなかったのか?その理由が映画では緊張感たっぷりに描かれている。これは、今でもアメリカの企業では普通に起こりうる事だと思った。
ガレージで起業した時、養父ポール・ジョブズ氏の「良いものを作れよ」の言葉は、ジョブス氏にとって一番重要であった言葉であるし、BYTEショップのオーナー、ポール・テレル氏の「直ぐに使えるコンピューターが必要なんだ」という話しからヒントを得るなど、とても重要な部分が描かれている。
ジョブズ氏の半生の中での出会いとして、当然スティーブ・ウォズニアック氏は欠かせないが、NeXT買収後、Appleがどうなろうが、どっちだって良いと感じていたジョブズ氏が、ジョナサン・アイブ氏との出会いによって、もう一度やってみるかと思い立つエピソードは新鮮に感じた。この2度目の出会いが、ジョブズ氏にとって重要だったと指摘した歴史は、今まで無かったんじゃないかと思う。
ジョブズ氏の直感が世界を変える可能性が高いにも関わらず、それが時代背景の中では突出してしまっているため、回りから理解されない状況が続く。ただ、そうしたオーラに目を輝かせている1人の人物としてApple創業時から現在でも従業員として働いているクリス・エスピノサ氏(社員番号8番)が何度か登場し、気が付いてる人もいたんだというシーンは面白い。ただ、実際に本人がどう思ってるかは分らない。
ジョブズ氏の拘りは、回りのエンジニアから異常だと思われているが、実際には、父の言葉に忠実に従っているだけのように感じられるシーンが前半に登場する。そうした、自分に嘘をつかず正直であろうとする姿は、やはりクレイジーにしか見えないのかもしれない。
ダニエル・コトキ氏と待ち合わせの約束をしたが、結局、マイク・マークラ氏とマイケル・スコット氏(初代CEO)との食事を優先してしまうシーンでは、決してジョブズ氏は約束を忘れていたわけではない事が、苛立の演技として演出されている。実際どうだったかは分らないが、この映画では冷徹な人物としては描かれていない。
また、ウォズニアック氏がAppleを退職した事を告げるシーンで涙を流すエピソードは、まったくの創作だが「仲良しこよしでは良い物は決して作れない」という「取捨選択」の物悲しさがハンパじゃないんだって感じた。
こうした部分を一切明かさないようにするため「No Backstage On Broadway」は定説化したのかもしれないと思った。
●映画のエピソードピックアップ
・冒頭のiPod発表会は、2001年10月23日に行われ、世界中から招待を受けた記者は100人しかいなかった。ここにITジャーナリストの林信行氏は、実際に、この発表会場にいた1人(5年後の後日談:今、明かされる初代iPod発表会の真実──記者100人、予算5万ドルの幻のイベント)
・アタリで「ブレイクアウト」のゲームセンター用コンピューターの部品点数を減らす事が出来たら5000ドルを支払うという契約なのに、スティーブ・ウォズニアック氏には700ドルの報酬だと偽り、契約通り部品点数を減らす事に成功したジョブス氏が契約金を折半して350ドルを渡すというのは実話。
・BYTEショップのオーナー、ポール・テレルとの実際に行われた交渉は、30日以内に50台のApple Iを納品することだった。
・1976年7月に発売が開始された「Apple I」の販売価格は666.66ドル(当時の日本円で約15万円)。半年間で200台製造され、売れたのは175台。現在、当時発売された価格を上回った金額でオークション取引されているのは「Apple I」のみ。数が少ない上に、ボードだけだったため、改造されている物が多く、オリジナル状態を保っているものがとても少ないため。
・ジョブスが幼少時代を過ごしたロスアルトスの家でガレージカンパニーとしてAppleは起業されたが、映画では実際にその家を使って撮影されている。
・1977年6月に「Apple II」は1,298ドルで販売開始され、1980年に10万台、1984年には200万台を超えた。1993年まで製造され続け累計500万台出荷された。
・Macintoshプロジェクト時代に住んでいた広大な敷地を持った家「Jackling House」は、すでに取り壊されてしまっているため、別の場所で撮影されている(たぶん)
・アンディ・ハーツフェルド氏の回想録によると、クリエイティブサービス担当だったJames Ferris氏が、Macintoshはフェラーリのように官能的であるべきだと主張したのに対して、ジョブス氏は自身が乗っていたPorsche 928のようであるべきだと反論したと語っている。映画では、その車が登場する。
・伝説的なTV CM「1984」を制作したのは、サー・リドリー・スコット監督
・ジェニファー・ゴラブ監督が製作したTV CM「Think different」のナレーションは、映画の中ではジョブス氏が行っているが、これはナレーターへの指示として収録されたため実際には採用されず、リチャード・ドレイファスが行ったバージョンが放映された。なお、日本では根津甚八氏がナレーションを行ったバージョンが放映された。
・1983年1月に発売された16ビットパーソナルコンピュータ「Lisa」の価格は1万ドル弱(当時の日本円で約233万円)、この名前の由来は、ジョブス氏の娘「リサ・ニコール・ブレナン」から名付けられている。ただ、ジョブス氏が認知を拒否していたという事情もあり、LISAプロジェクトの責任者レジス・マッケンナ氏は「Local Integrated Software Architecture」の頭文字からとったものだと語源を創作し説明していた。
・ジョブス氏が完成したMacintoshを触っている後ろに「髑髏の海賊旗」が飾られているが、これはMacintoshチームを「パイレーツ」と呼んでいた事から、実際に飾られていた。スティーブ・キャップス氏とスーザン・ケア氏が協力して縫った手作りの旗とされる。
・スティーブ・ジョブズを描いた劇場作品としては初めてとなるが、これより前に、テレビドラマとして製作された「バトル・オブ・シリコンバレー」が存在する。
●実際の話しと映画の話しの相違点
・ホームブリューコンピュータクラブでウォズがApple Iをプレゼンテーションして、参加者が帰っていってしまうシーンがあるが、これはまったくのデタラメで、当時のワンボードコンピュータは印字印刷程度しか出来なかったのに、ビデオジェネレーターを実装していてテレビ表示が可能で、またBASICが走ったことで、クラブメンバーから大絶賛された。その反応を見てポール・テレル氏が交渉してきたというのが真実
・マイク・マークラー氏が、ロスアルトスの家にコルベット・スティングレーで乗り付けたと映画では描かれているが、実際は、ジョブス氏とウォズ氏の2人がマイク・マークラー氏の元に出向いたというのが真実
●登場人物のプロフィール
・マイク・マークラ氏 社員番号3番
投資家でAppleを法人化した人物、1997年にジョブズ氏が社員の士気を上げるためストックオプションの引き下げを取締役会に提案したものの拒否されたため、ジョブズ氏は取締役に辞任を迫り退職した。
・アーサー・ロック氏
1968年にIntel社が創設された時に資金調達を行った人物で、Intelの会長にも就任した。ベンチャーキャピタリストという言葉と手法を生み出し、Intelの元副社長マイク・マークラー氏に誘われてAppleに投資を行い取締役に就任した。映画ではジョブズ氏を追い出す裏の人物として描かれている。1993年に社内の意見の食い違いからApple役員を辞任した。
・ダニエル・コトキ氏 社員番号12番
ジョブズ氏の大学時代の友人で、Apple創世記メンバーの1人。IPO前の株を得られなかったエンジニア、Apple IIの回路基板設計などを手掛け、1984年に退職する時の仕事は、Macintoshプロジェクトでキーボードを開発しいていた。Macintoshの背面には名前が刻まれている。ストック・オプションが貰えなかった事は「日経ビジネスオンラインインタビュー」の中で語っている。
・ロッド・ホルト氏 社員番号5番
Apple IIの電源を開発した人物、Appleエンジニアリング担当副社長だった彼はMacintoshプロジェクトに引き抜かれ、ダグラス・エンゲルバートが発明したマウスを改良し、1ボタンマウスの開発に貢献した。
・クリス・エスピノサ氏 社員番号8番
Apple創業時から現在でも従業員として働いている唯一の人物で、Mac OS XやXcode開発などのチームメンバー。
・ビル・フェルナンデス氏 社員番号4番
ウォズニアックの隣人で友人ということでApple社の最初の従業員となった。Apple I、Apple II、Macintoshプロジェクトの開発に関わった。ユーザーインターフェース・アーキテクトであり、1984年にMac OS、QuckTime、HyperCardに関するユーザーインターフェース特許を取得した。1993年にAppleを退職した。
・ジョン・スカリー氏
初代CEOのマイケル・スコット氏(社員番号7番)の後任者として、ペプシから迎えられたマーケティング担当兼CEO、ジョブズ氏が18ヶ月に渡って引き抜き交渉を行い「このまま一生、砂糖水を売りつづけるのか、それとも世界を変えるチャンスをつかみたいか。」という言葉は有名
・ビル・アトキンソン氏
LisaとMacintoshプロジェクトにおける代表的な開発者の1人、QuickDraw、HyperCard、MacPaintなどの開発者として知られる。特にハイパーテキストを実現した最初の商用ソフトウェア「HyperCard」は、プログラミング開発を誰にでも行えるものにし、多くの商用ソフトウェアが生まれた。その代表作は「MYST」である。
・アンディ・ハーツフェルド氏
Macintoshの最初の主要ソフトウェアの大部分を開発したソフトウェアエンジニア。映画の中でApple IIの電源コードを引き抜かれ本体を持ち去られてしまうエピソードは実話。その後ジョブス氏はApple IIを車のトランクに放り込んで、彼をMacintoshプロジェクトチームがいる建物に連れて行ってしまった。2005年Googleに転職する前年に「Folklore.org」を公開し、Macintoshの開発エピソードを公開した。
・バレル・スミス氏
ハードウェアエンジニアでLaserWriterのマザーボードなどを設計した。Macintoshプロジェクトでは、最小限のチップで最大の性能が発揮出来るマザーボードを設計するなどした。
・ジェフ・ラスキン氏
Macintoshプロジェクトの責任者で、後にジョブス氏にMacintoshプロジェクトを乗っ取られてしまう。技術用語で書かれていた難解な説明書を、初心者でも分かりやすく、ユーザーが操作をしやすいようにリングで綴じたマニュアルを作成した。ジョブズ氏と対立し1982年3月にAppleを退職した。