大阪DTPの勉強部屋:第2回鳥海修の文字塾「ヒラギノ書体」「游明朝体」「游ゴシック体」「キャップス仮名」のコンセプト(後半)
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大阪DTPの勉強部屋:第2回鳥海修の文字塾「ヒラギノ書体」「游明朝体」「游ゴシック体」「キャップス仮名」のコンセプト(前半)の後半エントリーです。
ヒラギノ書体は、大日本スクリーン製造の所有書体で、字游工房の書体を作って売りたいと思っていた時に、装丁作家の平野甲賀氏らが訪れ、藤沢周平の小説を組める書体が無いんだよと言われ、それを作れと言われ、遊明朝書体は、藤沢周平を組むための書体として開発を始めたと話してました。
游明朝体のコンセプトは、DTP世代の新しい本格的な本文明朝を作り、藤沢周平の小説を組める書体であることを基本とし、そこで、活版に立ち返ることにしたそうです。
長文縦組みに適合し、ベタ組みを基本とすることに決め、適正な使用サイズは7〜12ポイント、現代において普遍的であり、漢字は四角く明るいものとし、仮名は控えめでありながら、伝統的な形を継承しつつ、抑揚のあるしっかりとしたものといったコンセプトを決めたそうです。
游明朝体は、アルファベットが相当強い書体となり、漢字は四角くあってよいが、仮名は抑揚を持たせ、アルファベットは日本語に溶け込まないようにした方が良いと考えた。
ヒラギノ書体の漢字は点が多く、游明朝体は弱い。仮名は秀英書体をベースに現代風にデザインされていると話していました。
1998年5月6日に漢字部分を制作していた鈴木勉氏が膵臓癌で死去してしまうが、1800文字ほど下書きを残していたそうで、この書体を元にした「鈴木勉の本」という1000冊限定本を作る事に決め、これを游明朝体で作ることにしたが、藤沢周平用の書体だったので、小説の一部を使わせてもらうことにしたそうです。
藤沢周平の「乳のごとき故郷」の後書きに紹介されていると説明していました。
京極夏彦氏と会う機会があり、非常に機嫌が悪かったが、偶然持っていた元字を見せたところ急に機嫌が良くなり、僕の小説は、編集者と凸版印刷、そして君らのような文字職人によって初めて小説として形になると言われ、とても嬉しかったと話してました。
その後「姑獲鳥の夏」で採用されてテレビでも紹介されたと話してました。
游ゴシック体は、游明朝体ほど決まったコンセプトはなく「普通のゴシック体」を作りたかっただけだと説明していました。
長文でも読みやすく、基本は縦組みで、やさしいゴシックと普通のゴシックとし、フトコロは漢字も仮名も中庸、欧文はフランクリンゴシックがベースにするといった内容で制作したそうです。
エピソードとして、大日本スクリーンの「こぶりなゴシック」は、当初は游明朝体になるはずだった書体だと明かし、凸版印刷の方から集英社のスタイルという雑誌が月刊誌になるのに合わせ、デザイナーの方曰く、モリサワの「中ゴシックBBB」はDTPでは使えないと言われ、こぶりなゴシックの下書きを見せたところ、これならDTPでやると言ったそうで、結局、大日本スクリーンから出る事になったそうです。
しかし、このこぶりなゴシックは凸版印刷でしか印刷出来ないことになっていて、大日本印刷で印刷する時に面倒な状況が発生したそうです。
游ゴシック体は、こぶりなゴシックとよく似てはいるが、より大人のデザインになっているのが游ゴシック体だと説明していました。
こぶりなゴシック体は游築五号かなをベースにして、游ゴシック体は遊明朝をベースにしているそうです。
また、游ゴシック体は、全て角が丸くなっているそうです。
組版会社のキャップス用につくったのが「キャップスかな」で、これはフォントのパスポート導入によって、組版会社の差別化が出来ず価格競争になるため、独自の仮名書体を持つ事により、会社に特徴を出す目的で考えだされたのだそうです。
最初は、夏目漱石の「こころ」に合う近代文学の仮名を作れと言われたそうです。
それが「文麗仮名」で、情念が感じられる文字として作った書体だと説明していました。
14回フォントを作り直したと紹介し、その変遷を例文に当てはめて紹介していました。
その後、外国文学を翻訳した近代小説向けの「蒼穹仮名」を作ったそうで、これはカタカナが少し大きくなっているのだそうです。
また、女性文学向けの「流麗仮名」を作ったそうで、古筆の優美で流れるようなおもむきを活かした書体だと紹介していました。
平安時代の雅な雰囲気を大事にしてデザインしているそうですが、まだ一度も使われた事はないそうです。