AUGM KOBE 2016:Appleヒストリートークライブ
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AUGM KOBE 2016において、AUGM神戸委員会代表の杉本真樹氏、Evernoteの外村 仁氏、元Appleシニアマネージャーの木田 泰夫氏、ITジャーナリストの林 信行氏によるトークショーが行われました。
映画「スティーブ・ジョブズ」の映画の話題に関連し、外村氏は発表会自体の場面は出てこないので、そこが残念だと思ったそうです。
林氏は、もう1つの映画「スティーブ・ジョブズ」の字幕チェックをしたというエピソードにふれ、木田氏は、まだSteve Jobs氏については生々し過ぎて見ていないそうです。
木田氏は、絵文字についてや、iOS上におけるテンキーの開発について話し、日本のガラケーのテンキー入力はやりたくなかったが、研究すればするほど、日本語入力する上で、テンキー入力ほど素晴らしい形はなかったと話していました。
外村氏が、藤井フミヤ氏を起用したCMの話しのエピソードとして、混乱時期だから出来たと話してました。
木田氏は、Steve Jobs氏が戻ってきて、色々な意見を言う重役を統括して一本化することが出来たのは創業者だからだと話してました。
林氏がUnicode関連の話題としてエピソードを求めたところ、木田氏は、当時のMacでは約6000文字しか使えなかったので、DTPを実現するためには写研の写植機が必要なんだよと言われたそうで、そんなことは言わせないとして、当時DTP全盛時代に写研の文字コードと、JIS X 0213加えてヒラギノフォントの文字セットを開発したそうです。
これをAdobeに提案したところ自社でやると言ったので、Adobeが作ったAdobe-J1-4の上位互換を保つため、それの上に被せる形で「Apple Publishing Glyph Set」(APGS)を実現したそうです。
これを写研が訴えてくれないかと待っていたけど、結局訴えてはこなかったと話し、もし訴えてくれれば、写研がAPGSを印刷文字セットとして認めたことになり、これ以上の宣伝は無いと思っていたそうです。
木田氏は、それらの総体プロジェクトとして、最高の美しいフォントとしてヒラギノを採用することが出来たのは、自身のプロジェクト人生の中で最高の誇りだと語っていました。
その後、AUGMコアメンバー トークライブにおいて、AUGM東京代表の村上丈一郎氏が「自分の名前は最初変換されなかったが、木田さんと知り合いになって変換されるようになったが、それは個人的な繋がりによることなのか?」と質問すると、外村氏が「私の妻の名前は、日本で2人しかいないのに、それは人名として登録されたよね?」と継い質問したところ、木田氏は「辞書がコピーされたものかを判断するマークとして珍しい人名を登録していた」と説明していました。
また、外村氏が、MacOS時代に、ことえりの辞書が減らされたことがあったよね?と質問すると、木田氏は、当時のサードパーティマーケティングから、ことえりが賢くなりすぎると他社の参入が難しくなると言われ、仕方なく削減したことがあったと話してました。
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